約1年に渡って、老柴犬・零との暮らしや介護の様子を書いて来ました。
今回で(6)。最終回になります。
老犬になっちまった柴犬の零と暮してます(6) 2021/4月 虹のあとさき
◆◆◆ 目 次 ◆◆◆
今回は、個人的な備忘録のようになってしまいました。
柴犬・零の事を、少しまとめておきたいと思ったので。
何故、柴犬・零は虹の仔と考えられていたのか?
2021/2/15 大きな虹に恐れおののく
2021年2月15日の事です。
激しい雨の後急に晴れた、丁度仕事終わりの時刻なので外に出ると。
空には立派な虹がかかってました。
これを見た自分、恐れおののいた。
同時刻に家から見ていた妻も、恐れおののいた。
何故か?
2004/12/5 虹と共に現れた、あるいは、虹のたもとで出会った。
時を遡ること16年と半年。
2004/12/5 朝。
僕は、R108を鳴子温泉から古川へ向けクルマを走しらせていた。
空には、見事な虹がかかっていた。
これから柴の子犬に会いに行くんだ。
この虹は吉兆。祝福だよね。
何か良い事が始まる予感しかしない。
きっと、これから会う柴の子犬が、楽しく幸福な暮らしを連れて来てくれる。
空の虹を見て、ごくごく自然にそう思えたのです。
この日初めて柴犬の零と会って、僕たちは家族になりました。
同じ日、初めて家に来た零です。
生後50日くらいの子犬のハズが、やたらデカくて驚いた。
成長してからも、柴犬としては立派な体格だった。
大きな病気と縁が無かったのは、そのおかげですかね?
あの虹を見て思った事は正しかった。
柴犬兄妹・零&静との暮らしは、楽しくて幸福な日々となったのです。
そんな出会いだったので、『零は虹の仔』なのです。
2019/6/8 最後のキャンプ、月山・弓張平の虹。
時は流れて15年、2019年6月。
月山・弓張平のキャンプ場。
にわか雨と強い日差しが交互に来る不安定な天候の中、大きな虹が現れた。
結局この弓張平が、零と過ごした最後のキャンプになりました。
零は、この頃から急にクルマに弱くなってしまって、遠出不可能になってしまったのです。
これ以後、零とはキャンプにも旅にも行けませんでした。
あの日終わったのは、
柴犬・零と一緒に旅やキャンプを楽しんだ日々。
あの虹はその節目。
空に虹が出る時は何かの節目、なにしろ『零は虹の仔』ですから。
我が家では、普通にそう考えてしまうのです。
2021/2/15 老犬介護で見る虹の意味は?
そして2年後。
冒頭の話の、2021/2/15の空にかかった虹。
恐れおののく僕たち家族。
もはや零は、要介護の老犬ですから、節目と言われれば良い想像は無いです。
幸い、しばらく何事も無い暮らしが続きました。
しかし後から思えば、
『残された時間は少ないよ、大切にしなさい。』
と言うメッセージだったのだと思います。
この少し後から、衰弱速度は増大して行きましたからね。
本当に、もっと一緒に過ごせる時間を大切にするべきだったんだ。
いつだって、大切な事は後になってから気が付くものです。
これもひとつの節目だったか・・・と、今では思います。
2021/4/25 旅立ちの日に虹は無かった。
それから2ヵ月と10日後、柴犬の零は、空に旅立って行きました。
その日は、
夕方近くになってにわか雨、その後晴れるという気象でした。
もしやと思って、空中くまなく探しました。
けど、
虹はどこにも無い。
日暮れまで探しても、虹は見つからなかった。
これが現実ってヤツですよね。
そうそう都合良くは行かないよね。
ちょっと期待していた、でも、何も無かった。
これで終わりだなんて淋し過ぎるけど、そういう事だと納得するしか無いのか。
が・・・・・・まだだ、まだ終わらんよ。
2021/5/2 虹は7日後に来た。
それから7日後、丁度1週間後の日曜日。
この日も、夕方近くになってにわか雨、その後日差しが来ました。
そんな天気の日は、ついつい外に出て虹を探しちゃうんですよね。
来た。
西に傾いた太陽を背にして、東の空を見ています。
薄くて短くてショボイ。
けど確かに、空には虹がかかってます。
何だか嬉しくて、妻と一緒に見上げた。
余りに出来過ぎた話だとウソ臭いから。
むしろ、このくらいのショボい虹で丁度良い感じです。
旅立って7日後ですからね。
零は何処かへたどり着いたのでしょう。
道を間違ったりせず、ちゃんと本来居るべき場所にたどり着いたんだ。
それを伝える虹だ。
虹が小さいのは、随分遠くまで行ってしまったからだね。
そう考える事にしたところで、
さてさて、ここいらが『落とし所』です。
少し強引カモですが潮時ですね。
ここまでです。
柴犬・零のお話はこれで全部です。
これで、おしまいです。
2005/6/5 帯広・ナイタイ高原牧場 霧
我が家では、2世代・3頭の柴犬と暮らしました。
3頭それぞれに個性があって、性格も行動パターンも違いました。
性格も行動パターンも違っても、
どの仔もみんな同じように、
短い犬の生涯を全力で突っ走った。
いつも一生懸命。
わき目も振らず一直線に走った。
そして、駆け抜けて行った。
上の写真は、16年前・・・・2005年6月5日。
場所は、帯広のナイタイ高原牧場。
疲れも知らず駆けまわるのは、当時まだ1歳にもならない零と静。
この写真、零と静が霧の中を走り去って行ってしまうように見えて、それが何故だか印象的でした。
必ず訪れるその日を予感させる『何か』があったのかな?
いつか、この仔達との別れの日が来て、その記事を書く事があれば、この写真を使おうと思ったもんです。
その小さな思い付きが、16年の時を経て実現出来ました。
16年越しの、ささやかな願いがかなった事。
そして何より、
3頭の柴犬達の面倒を最後まで見る事が出来て、飼い主の責任を果たせた事。
もう感謝!感謝!です。
ありがとう!ありがとう!
最後に未練がましいセリフを許してもらえば。
1度だけ、もう1度だけ、元気だった頃のこの柴犬達と散歩したい。
それが5月の良く晴れた朝であれば、何も言う事は無いのです。
朝に夕に
並び歩きし
幾星霜
柴犬達は
夢まぼろしか
いつの日か、
虹の橋のたもとで全員集まれる日まで、
しばしのサヨナラだね。
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