シンエヴァンゲリオンの感想と妄想。【激しくネタバレ】

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閲覧には注意して下さい。

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シンエヴァンゲリオンの感想と妄想。【激しくネタバレ】

シンエヴァンゲリオンは、
全ての過去作品を肯定する『ターンAエヴァンゲリオン』だった。
まるでエヴァンゲリオンじゃ無いみたいな綺麗な幕引き。
終わってしまうのは淋しいけど、これには納得するしか無かった

※:注意して下さい。激しくネタバレしています。

シンエヴァンゲリオンを最も短く表現するなら。

ヲタク文化ここに極まる

シンエヴァンゲリオンを最も短い言葉で表現するなら。

(1)圧倒的な映像・ヲタク絵の津波。
(2)本当に『さようならすべてのエヴァンゲリオン』だった。

以上の2点に絞られます。

説明しますと。
(1)圧倒的な映像・ヲタク絵の津波。
 シンエヴァンゲリオンの製作費っていくらなんですかね?
 40憶か50憶か・・・・そんな所でしょうか?
 そんな大金を使って、これほどの質・量のヲタク絵を描く。
 またそれを観る人達が100億も使う・・・・・・・・・(^^;  
 こんな事が起きるなんて、全くもって日本は良い国だと思います。
 明るく楽しい日本を象徴している、シンエヴァンゲリオンです。

(2)本当に『さようならすべてのエヴァンゲリオン』だ。
 まさかあの庵野監督が、これほど綺麗にまとめて終わらせるとは!
 庵野監督も大人になったもんです。
 実際に映画を観ると、エヴァンゲリオンを終わらせる明確な意図が分かる。
 筆者のような、長いエヴァ者には感慨無量です。

別の言い方では、
シンエヴァンゲリオンは全ての過去作品を肯定する、
『ターンA・エヴァンゲリオン』だった。
と言う事でもあります。

それは表記の変遷からも見て取れます。

TV版・旧劇場版→エヴァンゲリオン
新劇場版・序・破・Q→ヱヴァンゲリヲン
新劇場版・シン→エヴァンゲリオン

エヴァンゲリオンの表記が元に戻ってます。
分かれてしまった旧版と新劇を『シン』で総括する意図だと思って良い。

では、もう少し詳しく見て行きます。

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シンエヴァンゲリオンの感想と妄想。

パリ/ユーロネルフ本部襲撃 0706作戦

オープニングはミサト率いるヴィレによるパリ解放作戦。
つかみですから派手な戦闘シーンで始まります。
大量のネルフ側のエヴァと、ヴィレ側孤軍奮闘するマリのエヴァの戦闘。
もうここで圧巻の映像力です。 

大量のエヴァを退けたと思ったら、
電力エヴァの集団と陽電子砲エヴァによるネルフの欧州本部防衛作戦
ヤシマ作戦を思い起こさせます。

行動が一貫しているのはネルフ側で、外敵からネルフ本部を守る行動を続けている。
対して、変節したのはヴィレ側でネルフ本部を襲撃する立場に変わっている。
Qからすでにそうですが、
あえてヤシマ作戦っぽい防衛戦をやる事でそこを強調してます。

特にエヴァに乗るマリは、使途の役割を負わされている
ここは伏線だと考えられます、覚えておく事。  

第3村にて・・・・癒しと再生

シンエヴァの中で唯一の安らぎパートです。
このパートでは、
シンジらしいシンジ。
アスカらしいアスカ。
アヤナミらしいアヤナミ・・・・を観る事が出来ます。

第3村は、ニア・サードを生き延びた人たちが暮してる村です。
一見すると、高度成長前なら日本中のどこにでもあった農村のようです。

再生とか回帰とかをアニメの中で表現すると、結局ジブリっぽくなってしまうようです。 
ターンAもそんな設定ありました。  
そういうシーンを描く事が、アニメ制作者側自身の癒しなのかもしれません。  

農村暮らしや他者との触れ合いの中で、
少しづつ人間らしくなっていくアヤナミレイ(仮称)を見ると、
筆者のような古くからのエヴァ者は、ポカポカしちゃいます。
旧版の綾波レイその物ですよね。
シンジが『綾波は綾波だよ』と言ったのは全くその通り。 

ふさぎこむシンジ君。(実は癒されてる)
苛立つアスカ。 (ちょっとは心配してる)

ああ、やっぱりエヴァなんだなぁとしみじみ。
鉄道関係の絵とかヲタク絵もしっかり入ってます。
庵野関東は、やっぱり庵野監督だ・・・とも思います。

農作業のおばちゃん達とか、
主要キャラ以外の人達を活き活きと生活感まで描いたり
赤ん坊や猫などを丁寧に描いたり。
田んぼや村の周辺の景色のシーンとか
こういうのは、エヴァの歴史始まって以来ではないでしょうか?

こういう点は、今までのエヴァと随分違うなぁ・・・と思いました。

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第3村にて・・・・あの14歳の夏に戻る事は出来無い。

旧版のサードインパクトの時のシンジ君の選択は、
人類全てがひとつになる世界を拒否して、ひとりひとりの個のある世界でした。
別にシンジ君は、人間の個人を尊重した訳じゃなくて
元の世界に戻りたかっただけでしょう。
元の世界とは、第3新東京市で過ごした14歳の夏の事でしょ。
レイやアスカのいる日常に戻りたかっただけ・・・・
だから結局、何の解決にもならない。  

第3村は、ジブリ的な癒しの世界ではありますが、
生き延びた人達がカツカツで暮らすリアリティを持つ世界でもあります。 
かつての同級生達は28歳になっていて、
相応の役割と責任を持ってそこを守り育ててる。

もう14歳のシンジ達が暮した第3新東京市は何処にも無い
第3村の存在は、そういう事実を突きつける物でもあります。
旧作のままのイメージのアヤナミレイ(仮称)がいても、そこに戻れるハズも無い。   

昔のままのイメージのアヤナミは、
シンジの癒しの助けになったと思うし、我々視聴者へのサービスでもあったでしょう。
悲しい事に第3村は、アヤナミレイ(仮称)の居場所では無くて、
アヤナミレイ(仮称)は、ウォークマンをシンジに渡して消滅してしまいます。
寸前、シンジが『綾波』という名前を付けたのは、せめてもの手向けになりました。 

第3村は、アスカとシンジにとって、逃げ込む場所じゃなくて守るべき場所
それを理解出来たからシンジ君はヴィレに戻る道を選択したのでしょう。  
自分の役割を見出したのだと思います。  

ヤマト作戦

ヴンダー艦は元々種の保存の為に造られた船で、艦内に多種の動植物のDNAが保管されている。
終盤で、保管されたDNAが地球の再生に役立つ事を予感させるようなシーンがあります。

そいつを一時宇宙空間に放出した後、南極のネルフ本部を襲撃、エヴァ13号機の無力化に向かう。
ヤマト作戦の開始である。

ヤマト作戦のヤマトとは、宇宙戦艦ヤマトへのリスペクトなのか?
エヴァには珍しく、戦艦同志の砲撃戦を展開

出撃前にアスカはシンジを訪ねて、
シンジに、殴りたかった訳を問い、あの頃好きだったと言う。
すっかり昔話である。
お互い大人になってしまった事を確認
納得して戦いにのぞむ。(だけどなんだか淋しい予感)  

多勢に無勢の状況をかいくぐり、エヴァ13号機にたどり着いたアスカの2号機改!
強制停止信号プラグを打ち込もうとするとATフィールド発動!
ATフールドは、13号機の物では無く2号機自身の怯えから発生していた!

ここで、本作最大のビックリ!
アスカはATフィールドを破る為、自ら使途化!
アスカの眼帯は、使途の力を抑える為の物だった。
もう、何が使途て何がエヴァだか分からなくなって来た。
冒頭のヤシマ作戦もどきは、ここの伏線だった。

しかしそれは罠、使途化したアスカは13号機に取り込まれてしまう
どうやらアディショナル・インパクトの贄にするつもりらしい。

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綾波タイプ 式波タイプ

TV版・旧劇場版→惣流・アスカ・ラングレー
新劇場版→式波・アスカ・ラングレー
名前が変更された理由がやっと分かりましたね。

旧版では人間だったアスカが、新劇ではレイと同様造られし者になっている。
一体いつから設定変更になったのか?

新劇の企画当初からそうだったのか?
新劇では最初から式波の名前で出てますから。

それともQからか?
眼帯を付け始めたのはQからですから。

もしかするとシンからか?
シンはかなり多大な設定変更が有る様に思えますよね。
まぁその辺は、考えたって無駄な事だとは思います。  

それと一瞬出て来た、『私のオリジナル!?』ってヤツ
一体何者?
式波ではなく惣流なのでは・・・・との説もありますが、
なんだか悪役イメージなのでそう思いたく無い
とにかく情報何も無くて不明。

式波アスカのキャラに関しては、
人間だった旧版から引き摺ってる部分が多くて、
造られ感とか皆無ですが、アスカはアスカだから全然OKです。 

綾波タイプ、式波タイプは13号機のパイロットとして造られた事になってますね。
まぁ、そう言うんだからきっとそうなんでしょう。

アディショナル・インパクト

最終局面です。

出撃を決意した、シンジのセリフ。
『父のしでかした事は、僕がケリを付ける』みたいな事を言う訳です。
なるほど、シンジ君がこれを言うようでは、
エヴァはもう本当に終わるようです。

13号機と初号機の戦いのシーン。
背景に懐かしい映像が続きます。
ミサトの部屋、病室の天井、中学校の教室。
物議をかもしたTV版の最終回みたいな映像。
視聴者サービスであり、過去の作品の肯定だと思います。

父ゲンドウに対話を持ちかけるシンジ。
心のウチを吐露するゲンドウ。
父も自分と同じ弱い人間だった事を知るシンジ。
ついにこんなシーンを描いてしまったか、大団円じゃないか。
ここに至る為にどれだけの時間とヲタク絵が浪費された事か

その流れでユイが現れ、
エヴァとユイとゲンドウは舞台から消えて行く。
普通であれば、ストーリーとしてはここでほぼ終了。
が、
我々エヴァ者が知りたいには、運命の子供達のその後でしょう。

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シンジ君、まとめる

エヴァ世界って、
いつでも夏の第3新東京市で暮らす14歳の少年少女達の話でしょ。
それって、庵野監督の精神世界に他ならない訳です。
村上春樹的に言えば『世界の終わり』のような所であり、
美化された思い出のような世界であり、究極の引きこもり場所であります。

普通であれば、
人の心の中だけの存在で、他人から見る事の無い世界です。
それが作品化出来たのは、庵野監督が天性の作家だからです。
作品化などされてなければ、庵野監督が大人になれば、
自然に消えていってしまう物なのではないでしょうか?

エヴァくらいの社会に浸透した作品になると、自然に消えて行かないので、
シンジ君は運命の子供達・・・エヴァパイロット達を解放しなければなりません

過去の作品から引き摺って来たイメージも含めての解放です。
シリーズ毎に矛盾する設定やストーリもあるのですが、
まずそこは全部飲みこんで肯定しますよって事をしないといけません。

説明としては、
過去何度も同じような事が繰り返されて来たループ構造になっていて、
その中にはTV版・・・の世界もあり、
Air/まごころを君に・・・の世界もあり
新劇場版の世界・・・もありますよ。
何故かカヲル君だけがその全ての記憶を持ってるっぽい
みたいな話のようです。(筆者なりの理解です)
黒歴史のまとめ方と似ています
長く続いたシリーズをまとめるなら、そんな形にしかならないのでしょう。

解放というのは、もうループはヤメにして
エヴァ世界に縛り付けられていた運命の子供達を、
エヴァ世界から卒業させる事です

トーストくわえて走る綾波レイが出てくる・・・なんて事はもう無いのです。

さようなら、運命の子供達。

レイとアスカとシンジの話は14歳の初恋の話だったんですよ。
初恋は結ばれないから初恋
それは思い出の中にだけ有るもの。
だからシンジは、レイともアスカとも結ばれなかったのでしょう。

渚指令という呼び方と、ピアノの話から
カヲル君の正体は、ゲンドウだったと分かる。
ユイの遺伝子で造られたレイ・・・・それと似た関係か?

子供を顧みないゲンドウの、子供を守りたい局面がカヲル君だ。
な~んて説があります。
カヲル君が妙にシンジを執着した事の説明になりますよね。
しかしそれって、まるで村上春樹の小説の書評みたいです。
主人公の俗物局面として別のキャラを小説に登場させるとかね。
エヴァの主要キャラは全て庵野監督の投影って話ですので、有り有りの話です。
ってゆーか、創作物とは多かれ少なかれそういう物なのかもしれません。

それはそれとして!
ユイ→レイ
ゲンドウ→カヲル
であるならばレイとカヲルが一緒に居るのは自然でOKですよね。

シンジ君とアスカの対話は、浜辺で交わされます・
『Air/まごころを君に』のラストのあの浜辺のようです。
あの時は本当に、バカシンジでダメシンジでした。
アスカの心が離れてしまうのも仕方無いでしょう。
今回のシンジ君は、
『好きだと言ってくれてありがとう、僕も君が好きだった!』
『ケンスケによろしく。さようなら!』
なんて言って、アスカを送り出す訳ですから、
もう見違えるような進歩です
今のシンジ君ならアスカを包み込んであげられそうです。
でも、時すでに遅し。
アスカを未来に送り出し、ただ見送ります。
大人になったもんですねェ。  
今回は、こういう所が一番じぃぃぃんと来ます。
アスカとケンスケはまぁそういう事で、幸せになって欲しいもんです

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そして綾波レイ
ありがとう、ご苦労様、幸せになって下さい。
もうそれしか言えないですわ!
カヲル君もようやく肩の荷が下りたようです。
レイと同様、ありがとう、ご苦労様です、幸せに。

マリの正体については、作中では語られませんでした
波シリーズの一人なんですかね・・・結局。
でもここは、巷で言われてる安野モヨコ説で良いんじゃないですかね?
エヴァを終わらせるには庵野監督以外の自我が必要だった。
個人的にはそれで十分かなと思います

まぁそんな訳で、運命の子供達はエヴァ世界を卒業して、
普通の大人になって行くのでしょうね、きっと。
とは言うものの、あのエヴァを良くもまぁ上手く終わらせた物だと思います。
その為に、あの津波のようなヲタ絵が必要とは驚くべき事です。
そんな事が出来るのは、やはり庵野監督しかいません。

納得イカンとすれば、
加持さんとミサトさんがいつも割に合わないように見える事。
あのふたりが幸せになる世界線は存在するんでしょうか?

一番大人になったのは庵野監督でしょう
10年も経営者を続けてるという話ですから、
結果を出さなきゃいけない、事業を存続させないといけない
大人の約束事はいろいろ有るだろうし、従業員の生活も考えないといけない。
それが、第3村のトウジやケンスケに投影されているのでしょう。

シンジ君が大人になって物語を終息出来たのも、
そういう事がベースにあるのかと思いました。

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