『すずめの戸締り』見て来ました・・すごく楽しめる良い映画でした。
で、どんな物語だったのか?
それを自分なりに書いて行くのがこの稿です。
すずめの戸締り 考察・感想・妄想
自分なりの、考察・感想・妄想を書き連ねているだけの文章です。
記載内容の正確性・信憑性については、保証出来かねます。
当然、人それぞれいろいろな考えや思いがあるハズです。
ご意見、ご感想などは有難くお受けしますが、
他の人を否定するようなカキコミや議論的なやり取りについてはお断りしてます。
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『すずめの戸締り』見て来ました。
個人的に気に入った部分。
前半の廃墟巡りの部分が好きですね。
廃墟の描写もお見事で、次の廃墟がどんなところかワクワク。
出来る事ならTVシリーズ化して、
毎回いろんな廃墟を回って、いろんな戸締りをして欲しいですね。
何しろ日本はもう、ほとんど廃墟だらけの国ですから。
それから四国での千果との関わりとかも良かったです。
千果に親切にされるシーンなんて涙が滲んでしまいました。
旅の部分も良かった。
ローカルなフェリーに乗ったり、スーパーカブで酷道を走りヒッチハイクで田舎道を走る。
オープンカーで東北をドライブ・・・・雨も良かった。
こんなの見たら旅に出たくなります。
今すぐツーリングに出たい・・・・・そんな気持ちが湧き上がってしまいました。
活劇的な部分はもちろん素晴らしかったですよ。
2時間バッチリ楽しませてもらえました。
でも、印象に強いのは、廃墟・人とのふれあい・旅の風景だったかなぁ?
そういう所が良い映画の証拠カモです。
さて、もうちょっと掘り下げて見て行きましょう。
『すずめの戸締り』は、こんな物語です(1)
物語構造から見た『すずめの戸締り』
一言で言うと、典型的なおとぎ話構造を持った物語だと思ってます。
もう、ホントに完璧に『おとぎ話』です。
構造としてはね・・・・・・・
自分は、宮崎駿監督の書いた絵物語『シュナの旅』を思い出しました。
要点を整理すると、(ちょっとプロット風に)
『すずめの戸締り』は、↓こんな話ですよ。
(A).王子様と少女の出会い。
(B).王子様は特別な役割(資格?)を持っている。
(C).無知な為に(タブーを犯し)ヤバイ奴を解放してしまう。
(D).試練の旅。
(E).呪いをかけられる王子様。
(人で無い姿にされる、冥界に閉じ込められる、氷漬けにされる。)
(F).最後の試練は、自分の心の一番深い所との対峙(+ラスボス戦)
(G).少女の純粋な愛で復活する王子様。
ざっとこんなもんです。(ストーリー順にはあらず)
最後は王子様の呪いも解けてめでたしめでたし・・・・ね!見事なおとぎ話パターンでしょ。
著名なおとぎ話で、↑の要素のいくつかを持ってるヤツ・・思い浮かぶのでは?
こんだけ揃ってれば、ものすごく手堅い『おとぎ話構造』と言えると思います。
『シュナの旅』も、特別な役割をもった王子様と王子様を純粋に愛する少女の話でした。
舞台やキャラの設定もストーリーも全然違いますが、↑のように要点だけを箇条書きにすると、
ほぼ同じような物語になってしまいます。
(宮崎監督のほうがずっとヒネクレていますがね)
↑のA~Gの7要素の中で一番大切なのは、当然最後の(G)です。
(G).少女の純粋な愛で復活する王子様。
つまり、『すずめの戸締り』は、地震を鎮める話でもあるのですが、
中心になるのは、『すずめの純粋な愛で草太を救出する』話です。
ここ重要、そこを外すと何の話だか分からなくなってしまいますよ。
でも、これだけでは物語の理解は1/3でしかありません。
『すずめの戸締り』は、いろいろと宮崎監督へのリスペクトを感じる部分があるのですが、
『シュナの旅』・・元になったチベット民話の『犬になった王子』も含めて、
そこへのリスペクトは、大きい比重を占めているように感じています。
シュナの旅・・・・まさかまだ新品が手に入るとは思いませんでした。
さすが宮崎監督の著書です。
なんか英語版も有るみたいですね。
草太が椅子になった理由とは?
もうちょっとだけ『シュナの旅』がらみの話を。
『シュナの旅』・・・企画段階のストーリーボードを絵本にしちゃったような!
そんな本なんですがね。(その分、よりピュアな宮崎監督の創作物だったりする)
ジブリと宮崎監督の原点のひとつみたいな部分があって、
ゲド戦記では、原案ってエンドロールにクレジットされてたり、
もののけ姫(アニメ版)の設定の一部に反映されていたり、(アシタカ周辺)
文明が失われた後の世界っぽい所と主人公の精神の有り方は、ナウシカと同じだったりしてる。
そういう絵本なのですよ。
ちなみに、もののけ姫(絵本版)では、前述した物語要素を結構網羅してます。
末の娘がヒロイン・・みたいな・・・さらに別の基本要素まで揃ってますヨ~・・・・・(^^;
もののけ姫(アニメ版)も変則的ながら、一部の『おとぎ話要素』含んでいますよね。
基本的に宮崎監督は根本的なトコを押さえながらも激しくヒネって来るような所有りますね。
で、すずめの話ですね。
草太は呪いを受けてしまう訳です。
(E).呪いをかけられる王子様。
(人で無い姿にされる、冥界に閉じ込められる、氷漬けにされる。)
結構、散々な目に合わされてます。
『シュナの旅』の王子様は、姿こそ人間のままですが、
廃人のようにされてしまって、記憶も無ければ口も聞けない状態にされます。
『犬になった王子』の王子様は、犬にされてしまいます。(そのまんまやんけっ!)
犬ですよ犬。
犬と言えば、『すずめの戸締り』のあの椅子って、
小さな犬が走り回っているように見えませんでしたか?
もしかすると草太は椅子では無くて『犬』になる話だったのではないか?
宮崎監督へのリスペクト。
犬が動いても普通だが、絵的には椅子が動いた方が面白いんじゃ無い?
なんて事で、草太は椅子にされてしまった・・・のではないだろうか。
せっかく椅子を出すなら、何か由来のある品物にしたい。
なんて話もあって、亡くなったお母さんの形見の品にするアイデアが出た。
そんな感じで、段々と物語が重厚になった訳なんですねェ。
ただの妄想ですけど。
絵本版です。こっちは流石に新品は無いみたいです。
『すずめの戸締り』は、こんな物語です(2)
すずめ=ウズメ・・という観点からから見た『すずめの戸締り』
岩戸鈴芽(すずめ)の名前の由来は、アメノウズメのミコトだと言う事ですよ。
ウズメと言えば、天の岩戸を開けさせ天照大御神復活のキッカケを作った女神様です。
すずめも冥界の扉を開けて、草太を救出してます。
そこが物語のキモだという話を前段でしました。
すずめはもうひとり、大切な人を冥界で助けています。
すずめが助けた大切な人とは、過去の自分、4歳の小さな子供だった自分です。
それがなければ、4歳のすずめは冥界から帰還する事は出来なかったと思います。
なるほど、すずめは冥界から救出する人でありました。
母親(多分家族の全ても)を失った4歳の自分と(それは自分の心の一番深い場所でもあります)
つらくても、そこにしっかりと向き合います。
そして、未来はきちんと用意されているから前を向いて生きるように伝えた。
そうする事で、過去の4歳の自分と現在の16歳の自分の両方を救った訳ですね。
それは、同時に視聴者へ向けたメッセージでもあります。
新海監督から、世の中の人達へのメッセージ。
前段のおとぎ話構造に加えて、
このメッセージを理解する事で、すずめの戸締りを2/3理解した事になります。
メッセージの件はまた後述します。
すずめの名前は、うずめ+鎮める という意味だという話もあります。
一体すずめは何を鎮めたのか?・・・その件も後述します。
環さんとのわだかまりから見た、すずめの戸締り。
そして、環さんとのわだかまりと和解。
『環さん』って呼び方自体が他人行儀です。
環さん作のキャラ弁も、心から楽しんではいないようで、
のっけから、上手く行ってない事は示されてました。
元々このふたりは、相手の立場や気持ちを思っての事でしょうけど、
言いたい事も言わないで過ごして来たように見えます。
わだかまりの根本はそこに有るように思います。
本当の意味では互いに相手を理解していない。
サダイジンのおかげで本音で叫びあったり!(ナイス!サダイジン!)
草太の件で『すずめが真っすぐな人間』に育ってる事が・・・環さんも分かったり。
扉を締めたりミミズを鎮めたりという経験を積んだり。
草太を助けるという事を最後までやりとげたり。
過去の自分と向き合ったり。
そしてダイジンとのかかわりがあったり。
(ウチの子になる?・・・・の言葉の重さよ)
そんな事があって、結果的にすずめは環さんと和解します。
仲の良い母と娘であったり、友達同士ようであったり、大人の女同志であったり、
時々ケンカしながらも、ふたりはそんな感じで生きて行くのでしょう。
それは、すずめの成長物語です。
環さんとの和解は、すずめの成長の結果なんです。
すなわち、
すずめの物語の柱は、
(1).おとぎ話。
(2).メッセージ。
(3).成長物語。
この3本を柱とする物語です。
本当に新海監督は手堅い・・・・というより王道の映画造りをしますね。
教科書通りのアニメって感じじゃないですか?(もちろん良い意味で言ってます)
『すずめの戸締り』は、こんな物語です(3)
日本神話という観点からから見た『すずめの戸締り』
岩戸すずめって名前もそうですが、
宗像草太って名前も神話に関係してますね。
宗像3女神の宗像ですからね。
日本神話がらみで考えるなら、あの椅子3本脚の椅子は八咫烏なのでしょう。
そうなると、八咫烏と共に九州から近畿へ移動したのすずめの旅は、
神武天皇の東征を意味していると言う事になります。
で、あれば、
すずめの旅のスタートが九州の宮崎県だったのは、そういう訳か!
なるほど!
では、草太とすずめが廃墟の扉で鎮めていたのは、一体何だったのか?
神武の東征をなぞっているのであれば、それは各地のまつろわぬ神や土蜘蛛だったのでは?
草太の草が、草薙の剣を意味しているとすれば、
すずめ達の旅は、ヤマトタケルの命の征西・東征をなぞらえている?
それならば矢張り、
草太とすずめが廃墟の扉で鎮めていたのは、各地のまつろわぬ神々だった?・・・・・
これはちょっと衝撃です。
何故かと言えば、イメージとしては、その手の題材の小説やマンガは、
滅ぼされる側のまつろわぬ神々側から描くものだったからですよ。
例えば、宮崎監督のもののけ姫(アニメ版)がまさにそうです。
ヤマトタケルの命を題材にとっても、大抵は悲劇の王子的な面を取り上げた物ですよ。
ヤマト朝廷が、各地のまつろわぬ神々を鎮めて(征服して)行く部分を描いた作品!
そういう物って滅多に無いと思っていましたから。
これはなかなかスゴイ事です。
もしかしたら世界は、私らが思っているよりもずっと大きな転換期を迎えてるのカモです。
星野之宣先生の宗像教授シリーズ。
宗像つながりですからね。
諸星大二郎先生の暗黒神話・・・これも今でも入手可能なんですね。
今回のブログには、あんまり関係無いのですが、
折に付け、諸星先生の作品を人様にオススメする。
それはもう日本人の義務ですからね。
高田崇史先生のQEDシリーズ。
神話題材ならこの方向性ですよね・・・・やっぱり。
『すずめの戸締り』は、こんな物語です(4)
地震という観点からから見た『すずめの戸締り』
矢張り、すずめの戸締りの話ですから、地震の話は避けて通れませんね。
すずめの戸締りは、地震を鎮める話のようにも見えますが、
実は、どうしても地震で無くてもこの物語は成立してしまいます。
例えば、大雨や隕石など他の災害でもOKです。
大雨や隕石はもうやってしまったから~って言うのなら、
扉から出てくるのは、モビルスーツでも使途でも良いのです。
ただそれが、大きな災厄をもたらす物であれば、この物語は成立します。
そういう意味で、地震ってこの物語にとってさほど大切な要素じゃ無いのです。
(あくまで・・・そういう意味で・・・の話ですよ)
だいいち、地震を話の軸に据えると何も解決していない事になってしまいます。
ダイジンとサダイジンが要石に戻った所で、世の中から地震が消えるなんて事は無いし、
すずめがダイジンを解放する前だって、度々地震は起きていたんです。
地震に関しては、何にも解決していない。
地震の話というよりは、廃墟と扉の話なんだと思います。
一時は栄えた土地を閉じるには、
その土地を産土神にお返しして、そこに住んだ人達の残留思念を消す為に、
儀式を行い土地を鎮めなければならないのでしょう。
それを怠ると、冥界への扉が出現・開いてしまって、
ミミズという形でさまざまな災厄が起こる・・・・・
それを鎮めるのが草太の一族の役割・・・・・
そういう設定だったのだと思います。
災厄は、その土地や産土神や住んでいた人々により様々は形態を取る・・・のでしょうね。
必ずしも地震では無い。
なぜ、地震ばかり強調する事になったのか?
それが、この映画のメッセージだからです。
前述した、メッセージです。
(1).つらくても自分自身と向き合う事。
(2).未来は必ず用意されてるから前を見て生きる事。
それに加えて地震に関するメッセージです。
(3).東日本大震災はあまりに大きな出来事でしたが、
今はもう腫物扱いではなく語り継いで行く事を考える時期になったのではないですか?
(4).南海トラフ等の脅威は変わらずに存在する、それを忘れてはいけない。
そういう事だと思います。
映画のような沢山の人が見る物は、そんな社会へのメッセージを含む事を求められる。
現代における、ノーブレス・オブリージュなのかもしれません。
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