ポプラ文庫『食堂かたつむり』
初版2008年。(文庫は2010年初版) 小川糸の小説である。
この小説、筆者は読んで気に入りました。
なかなか良いです。
なかなか有望な作家が出て来たもんです。
が、
某大手書籍通販サイトの書評を見ると、酷評ばかり!
これはもう、応援記事を書いて、小川糸先生の素晴らしさを広めなくちゃイカン。
2014年1月 初稿
1.こんな話である。
倫子は、恋人の消失と共にすべてを失ってしまう。
すべてを失うというのは、
村上春樹的なむつかしい比喩では無く、
ある日、帰宅したら、同棲していた恋人と共に、
財産家財道具のすべて消えていたという、
文字どおり・・・というか・・・そのまんまの出来事であった。
そのショックで、声までも、失ってしまいました。
失意のまま、生まれ故郷の山間の里へ戻るしかなかった倫子を迎えたのは、
15の時に家を出て以来、10年間会っていない折り合いの悪い母親と、
母親のペットである牝豚のエルメスだった。
母親と同居しつつも、倫子は自活の道を求める。
倫子は、ちいさな食堂を始める事を思いつく。
『食堂かたつむり』と名付けられた倫子の食堂は、
1日に一組のお客しか迎えない。
メニューは決めずに、お客の希望する料理を出す。
そういう店だった。
食堂の準備に没頭する事。
オーナーシェフとして、全力でお客と対峙し料理を作る事。
そんな日々が少しずつ、倫子の心を癒して行ったのだった。
やがて『食堂かたつむり』の料理は奇跡を起こすと、
不思議な評判を得る事になる。
そんな時、母ルリコは・・・・・・・!
こんな感じのあらすじを聞けば、
『これは、グルメ人情話なんだな・・・』と思っても無理は無い。
あるいは、
『朝ドラ的ほんわかサクセス話かな?』なんて期待する人もいる。
実際、料理に関する描写や、店の内装などの描写はなかなか良いのだ!
一見すると、女子ウケしそうな要素は揃ってるように見える。
それこそが酷評の原因だったのだ!
その辺を期待して、『食堂かたつむり』を手にした人は期待外れに終わる。
だってこれは、ライトノベルズでも無ければ、ドラマ原作でも無く、
紛れもない文学だったのだから。
2.突き詰めるから文学なんです。
結局これは、ホームドラマとは違うんです。
もちろん、秀逸に出来ている料理や店の内装の描写を楽しみにして、
この小説を読むのも間違いでは無い。
それはそれで、かなり良く出来ている。
読む価値がある。
しかし、それだけを期待して、
良くある人情話的な予定調和な展開と結末を期待して読んだ人は、
『こんな酷い小説は有りえない。』
と言う事になる。
倫子が声を失う設定の意味を考えて欲しい。
料理を通してしか、お客と会話する事が出来ない。
そういう状況を作る為の設定だったのではないだろうか?
そうだからこそ、倫子の料理は奇跡の料理たりうるのだろう。
小川糸が、料理を通して言いたい事は、もっと重大なのである。
もっと、突き詰めたものを伝えたいのだと思える。
言葉にすると平凡だけれども・・・・
食べる事=命
何かを食べると言う事は、何かに命を貰って自分が生きると言う事。
何かの命を貰うって事をキチンと書けば、
グルメ人情話では、済まないでは無いか!
凝った料理で、偏屈な人の心を和らげる・・・なんて話じゃ無い。
もっと、本質的なモノを書こうとしていると思う。
誰でも、毎日食事をする。
でもその為に、何かの命が失われているんだよ・・・・・
なんて事実を見せつけられれば、
誰でもちょっとショッキングじゃないですか。
そういう事を避けずに書くから、小川糸の小説は『文学』なのである。
特に難しい言葉や、難解なストーリーも無しで、それを語れる。
そこが良い。
ただしちょっと、書き方がピュアに過ぎるかもしれない。
まあ、俺みたいなオヤジ読者には、かえってそこが新鮮で良いのである。
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