【2】小説としてのエンダーのゲーム 日本アニメとの関連など

エンダーのゲームは、小説としてどうなのか?
日本のアニメとの関連ってどうなのか?
そのあたりの、勝手な考察。

2014年1月 初稿

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1.エンダーのゲーム・その小説としての醍醐味。

『バトルスクール』は、エンダーを史上最強の司令官に鍛え上げる為、
ありとあらゆる試練を与え続ける。

次から次へと、どう考えても圧倒的な不利な状況を作られてしまうが、
誰も考え付かなかった方法で突破して行くエンダー。

敵のゲートは下だ!』 (エンダー)

まず、小説の世界に引き込まれるのは、そんな部分である。

与えられる、抜擢だの飛び級だの。
『故意に仕組まれた、そうしなければならない事態』を打破する為とは言え、
敵(ご学友様である)を完全に叩き潰してしまった、自らの行為への嫌悪。
TOPである為、あるいは故意に仕組まれた状況の為の孤独。

そんな事ばかりが繰り返されて、エンダーは苦悩しつづけ、時に壊れかける。

しかしまた、目的の為に非情にならざるええない教官達にもまた、苦悩はあった。

そういう、登場人物の心理描写がまた、読む人を引き込んで行くのである。

今回、新訳版が出た事で、もう一度読む機会を得て気が付いた、
各々のエピソードが、クライマックスからラストへの伏線となっている。
だから、手練れの読み手なら、展開を予想してしまうかもしれない。

そうであったとしても、
動から静へ一転するラストへの流れで、『あぁそうだったのか』とつぶやく事になる。
そこには、どちらかと言えば静かな感動が待っている。
(感動が少ないという意味では無い。)

ようするに、よく練られた力の入った小説なのである。
年月の経過で風化する部分も少なく、今でも十分読む価値は有ると思う。

やはり、ヒューゴー賞とネビュラ賞のダブル受賞は、伊達では無いのである。

2.エンダーはどういう種類の天才なのか?

史上最強の司令官になる事を期待されているのだから、
知力体力ともにTOPレベルであるのは言うもでも無い。

ポイントは、一切意志の疎通が不可能(と考えられていた)な敵と、
戦って勝てる人ということだろう。

かつての戦術論は役に立たない。
そこで、求められるのは、瞬時に物事の本質を理解する力だと思う。

『バトルスクール』に召集された6才のエンダーは、同期生達とシャトルに乗り、
初めて宇宙に出て、無重力を体験する。
その時エンダーは、無重力の中での位置感覚の持ち方がわかってしまう。
それが出来たのは、同期生達のなかでエンダーただ一人だ。

『こいつは無重力の中で考える方法を知っていて、
きさまらはただゲロを吐きたがっているだけだからだ。』(グラッフ大佐)

上級生がビデオゲームをプレイするのを見ていただけで、ゲームを理解してしまい、
初めてのプレイで上級生に勝ってしまうなんて事は朝飯前。

11才のエンダーは、ビデオで『バガー』艦隊の動きを見ただけで、
集団としての『バガー』の動きを見極めてしまう。
その動きは、偽装されていたにも関わらずだ。

『それがわかるのはやっとふたりになったわけだ。
 だがこれは真実だ。そうだろう?』 (メイザー・ラッカム)

エンダーとメイザー・ラッカムは、
実はもっともっと重大な事実に行きついているのだが、
それは本編を読んでいただくとして。

ようするにエンダーは、どんな事でも、すぐ認識出来て、
正しく理解してしまう人なのである。

その特徴は、対人間には、理解・共感する力として発揮される。
それは、続編の『死者の代弁者』につながって行くのだけど・・・・・

そういう人って、どこかで聞き覚えがあるよなぁ。
ガンダム好きなら誰でも分かるよ。
それって 『ニュータイプ』 の事じゃん。

3.日本のアニメとの関係は?

『ニュータイプ』 って、ビットやらファンネルやらの、
サイコミュ兵器を使える、エースパイロット、みたいに扱われていくのだけれども、
そもそもは、 『宇宙に出て感覚が拡張された人』 とか
『誰とでも理解しあえる共感力のある人』 とか、
そんな定義であったハズ。

昔、富野監督がどこかでこんな感じの事を書いていた。
『無重力の中で宙返りとかしても、
 自分と敵の位置とか、パっと分かっちゃうんですよ。』

劇中のアムロは、こんな感じ

『これは・・・・!?、す・すごい・・・・・!
 敵のパイロットは、こちらの位置と地球の一直線が読めるのか!?』
(シャリア・ブル) 機動戦士ガンダム39話 

ガンダムは、ビットの攻撃を何故あんなに、ヒラリヒラリと避けられるかな?
と不思議だったけど、常に相手の一番イヤな位置を確保してたからなんだ!
シャリア・ブルは『なんで、常に俺の一番イヤな位置に、居られるんダ!?』
と驚いている訳です。(やや強引ですが・・・・・・・・(^^ゞ)

6才で初めて宇宙に出た時のエンダー。
無重力のバトルゲームで無敵のエンダー。
少なくても、特別な位置感覚は、 共通している。

前述の、エンダーの認識・理解・共感する力とは別に、
エンダーは、特別な感覚・感受性を持っているとしか考えられない体験をする。

ぼくだけなんだ、とエンダーは悟った。(エンダーのゲーム15章)

あまりにもネタバレになるので、詳しくは書けないが、
ようするにそんなの、ガンダムを見た人なら、何の違和感も無いんですヨ。

それは、大人達が期待していた、エンダーの能力とは全然違うものだし。
それが、どういう事なのか?、何故そんな事が起こったか?
作品中では、状況説明だけで済ませてしまっているが、
それで、なんとなく納得されられてしまうのが、筆力というものなのだろう。

それはそうとして、
本人の意思とは無関係に、その才能が戦争に利用されてしまい、
それを悲劇としている所も『ニュータイプ的』だ。

『ニュータイプは戦争の道具じゃない。』
(アムロ・レイ)
『今という時では、人はニュータイプを戦争の道具としてしか使えん。』
(シャア・アズナブル)

もっとも、エンダーのほうは、続編『死者の代弁者』で、
戦争とは全く違った方面で、能力を発揮してゆくのだけど。

日本のアニメがエンダーのゲームに影響を与えたところって無いのだろうか?

もしも、ガンダムが、ヒューゴー賞、ネビュラ賞ダブル受賞作品に、
なんらかの影響を与えていたとしたら、
『ガンダムはSFにあらず』と言い切った高千穂遙さんは、どう言うのだろうか?

1979年 TV放映「機動戦士ガンダム」
1981年 劇場版「機動戦士ガンダム」
1981年 劇場版「機動戦士ガンダムII・哀戦士編」
1982年 劇場版「機動戦士ガンダムIII・めぐりあい宇宙編」
1985年 小説 「エンダーのゲーム」
1995年 TV放映「新世紀エヴァンゲリオン」
1997年 劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」
1997年 劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」

逆に、エヴァンゲリオンでは、
『サード』
『いらない子供』など、
エンダーのゲームの中に出てくるワードがいくつか見つかる。

サードチルドレン。
昔から、碇シンジ君ただひとりを指す言葉なのに、なんで複数形なの?
と、謎の言葉だったけど、第三子ってことなら、複数形でも良い訳だ。

サードインパクトという言葉も、なにか関係があるのかもしれない。

思えば、『いらない子供』って強烈すぎる概念が、偶然一致するか?

それ以外の、共通点を拾ってみる。

・主人公がやたら孤独な少年であるところ。
・専用のスーツを着るところ。
・敵と一切の意思疎通が出来ないところ。(カヲル君は例外・・・・)
・敵か人類か、どちらか一方しか生き残れないところ。
・知らぬ間に、人類の命運を背負わされてしまうところ。
・そうとは知らずに、とんでもない悲劇を引き起こしてしまうところ。
・大人達は、重大な秘密を隠したまま、少年達を戦わせているところ。

結構、来てる感じがしますが、どうでしょうか?
他にもいろいろ出てきそうですが、とりあえずこの辺にしときましょうか。

こうなって来ると、旧劇場版『Air/まごころを、君に』のサードインパクト後の
シーンで、大地に横たわっていた巨大な白いもの!
なんで、あんな物がと訳が分からなかったが、
エンダーのゲームからのオマージュだったとすれば、なるほどなぁ・・・・・と思う。

と、妄想に妄想を重ねてしまった。

そもそもエヴァンゲリオンという作品は、
さまざまなメディアのいろいろな作品から、数々の要素を取り入れている。
『世界の中心でアイを叫んだけもの』とか
『鈴原トウジ』とか
『相田ケンスケ』とか
みんな、どこかから持ってきたワードだ。

それであれば、エンダーのゲームから、なにかしら取り入れていても、
何の不思議はない。

結局のところ、それ以上何も言えないのである。

もしも、エンダーのゲームを手に取る事があれば、
ガンダムやエヴァに通じる所を見つけながら読むの、一興であろう。

3.新訳版に映画版!

今度新訳版が出たのだが、
それまでエンダーのゲームは絶版になっていたらしい。
新訳版を読んでみたところ、当然ながら内容は変わらない。
文章が易しくなり、文字も大きくなり、
旧訳版のテイストが保たれたまま、かなり読み易くなった。
少年達のスラングな会話って、こんな感じなのかな?・・・・なんて感じもあるが、
何はともあれ、日本語で読める環境があるのは、うれしい事だ。
(だって日本語しか読めないもん)

だた、カバーの絵だけは、いただけない。
少女マンガチックな絵で描かれた、頭も悪く根性も無さそうな三人のガキが、
エンダー、ヴァレンタイン、ペトラだというのだ。
この子達は、エリート中のエリートなんですけどぉ・・・・・
この扉絵だけは、勘弁して下さい。

何も少女マンガチックなのが、悪いってんじゃ無いんですがネェ・・・・・

公開される映画はどうだろう。

映像として、どのように作られているか、いくつか興味あるシーンが有る。
・バトル・ルームでの戦闘
・劇中登場するファンタジーゲーム『巨人の飲み物』
・当然、宇宙戦艦の戦闘シーンも気になる。
ハリウッドものだから、きっと素晴らしい映像が見られるのだろう。

でもまぁ、コレを見に、映画館まで足を運ぶかどうかは、
まだ決めて無いのですけどね。

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